うしろの袋

何かを一生懸命する

っていうのは、「一生懸命している、いまここ」、

または、「イメージしているものの目的の達成をめざしている自分」

という「限定的な自分」にとって

とても都合のよいことかもしれないけどー。

将来の自分や、私の周りのひとたちにとって、

どういうことか、ということは、別の問題で。

 

そういう意味で

最近ちょっと、

前のめり気味な自分に、危うさも感じつつ。

 

むかし読んだお話。

人間は、袋をふたつもっている

ひとつは、まえ、ひとつは、うしろ。

自分が見える前の袋にたくさんふえると

バランスをとるために、後ろの袋の内容も自然と増える。

でも、うしろの袋は見えない。

・・・影のたとえ話と似ているけど

両方、重たくなったら、歩けなくなるっていうイメージが

小者の私には、とっても怖い。

 

ところがところが、昨日のこと。

私がすごく腐心していることがあったのですが

それを吹き飛ばしてもらいました。

それについて

一緒にいた人たちが、新しい流れを作ってくれていた・・・。

しかも、私が旗を振るパターンではなく

私もその、一員にしてもらえたという。

なんだろう、この、身の軽さ。

なんだろう、この、「楽しいだけ」っていう感覚。

 

私の袋、まえもうしろも、両方急に軽くなった。

これで私は

また、スキップして、歩いてゆけるー。

るん、るん ♪♪

・・・別の案件の荷物は別だがな。

ふっ。