師走、わたしのお師匠。

昨日、レッスンで、京都・藤森教室、行ってきました。

気ぜわしくしておられるのでは?

と、警戒して、ガラス張りの教室を外から、

柱に体を隠して、顔だけ覗いて、みておりましたが

穏やかに、楽器のメンテをしておられました。

 

普通に入室でけへんのかな、私は。

 

昨晩横浜で、岩見淳三さんのライブに行ってきたこと

(挨拶をつたえたり)

聖地「巣鴨」を見てきた話なんか聞いていただいてしまいました。

「なんで、巣鴨なん?」

「ええ、サラリーマンといえば”新橋”、お年寄りといえば”巣鴨”なので」

出していただいたコーヒーをすする。

「今日はちょっと濃いで」

 

いや、もちろん

この一年、いろんなライブを見聞して、いろんな方とお話ができて

お手合わせもしてもらって・・・という話から

自分は、どうして、弾けないんだろう、一生懸命練習してるんですが

ポイントはずしてるんですかねえ

という質問に

「そんなもん・・・」

師匠は

自虐デフォルメ をつかって、

私を笑わせながら

20年近く一緒にいる私に合う、教示を

たくさんしてくださいました。

「でも、練習はたくさん、必死でせなあかんデ」

なん千回練習しても、さあ、と弾くときには

出てくることはない、

フレーズの数々

きれいな音の配列

克服したはずの、複雑な運指。

一生お蔵入りかもしれない。

でも、それをつむぐ練習をしなければ、

自分の演奏のクオリティや技術が下がってしまう。

だから、ムダだと、おもっても

やめてはいけない、

紡ぐ努力を止めてはいけないんだ、と。

 

「ほな、ちょっと、〇〇弾いてみ」

「はいっ」

普段、私がいちばん困っているけど原因がわからなかったこと

意識では、よくないな、とおもっているのに

無意識的にやってしまっている弾き方

たったの5分間で

みごとなまでに、恥ずかしいまでに

ぜーんぶ、指摘され

その説得力、教示内容たるや

おそらく過去数年分。

そして、今日の内容で

練習数年分必要かも・・・

森嘉彦は、普通のレッスンプロではない。

 

たくさんのことが

つながって

ひとつになって

私のなかで

いろんなものの、

並ぶ順番が

ととのっていくのを、

自分のなかに見る。

 

今年、いろんな方から、いろんな場所で

見たもの聴いたもの、訊いたもの

もらったもの全てを栄養にして

来年は、

いえ、今日から

古くて、つたなくて、

でも新しい歌をうたいはじめたい。