やっぱり、弾きたい。

きっと「謙虚」なんかじゃなくて

あこがれている人たちから

へただなあ、その程度か

もう、いいわ、聞きたくない

って思われるのがイヤなだけなんだと

気が付いた。

 

緊張するって言ったら

「すべては、準備、です。準備できてないからじゃないですか」

人前で弾くのが怖い、あきらめようかと思うって言ったら

「一生、人前で弾かないっていう方法もあります」

まだ弾く度胸がないって言ったら

「やりたいって、思ったときにやったらいいんですよ」

すべて、

私が、どうしたいのか?というところを

聞き返してきている。

やさしいけれど、

ほんとうに厳しい。

 

ほかの先生。

「いつでも、弾きたいときどうぞ。

ちゃんと弾けない人に、声をかけませんよ」

甘いけれど、おそろしい言葉。

「ちゃんと」弾けって、いっている。

どんな曲を弾けばいいのかとの問いに

「(お店の)お客さんが喜ぶものを」

選曲のドレスコードを守りつつ、相手の好みを読めと。

その人はいつも、聴きに行くと

私が好きな、でも演奏したことない曲を弾いてくれる。

完全に、読まれている。

怖い先生。

 

神様みたいな先生もいる。

自分のコンボのライブで楽器を弾きながら、

バタンと倒れて、そのまま、天国に行った。

「一緒に弾こうよ」

「今日は聞かせてもらいます」

「プレッシャーやな(笑)」

そう会話したあとに弾いた曲の途中だった。

生きてもっと、弾いていたかっただろう

いや、まだ引き続けているかもしれない。

命日が、もうすぐ、やってくる。

神様になってしまった先生。

 

私は、

生きている。