笛吹けば。

ちょっと

フルート、吹いてみた。

17年ぶり。

父の遺品。

酸化して真っ黒になっていたから

磨いてからね、と思っていたけど

これまで、磨かずにいた。

まっくろの頭部管。

そっと、口を寄せて、吹いてみた

二度目の吹込みで音が鳴った。

 

シルバーポリッシュで、全部、磨いた。

 

音階吹いてみた

不安定だった。

何度か吹いた。

だんだん安定してきた。

腹筋使って吹く感覚、ちょっと思い出した。

浮かんだフレーズ、ちょっと弾いてみた。

ウクレレで弾いてたフレーズ。

 

近所迷惑を考えて

やめた。

 

お父さん、

わたし、また、やっちゃったよ。

 

うまくいかないのは

自分のせいだって、わかっている。

 

自分で積み立てた石の塔

自分のミスで崩した。

綱渡りだって、わかっていて渡っていた綱

落ちるのは自分のミス。

 

石も、綱も、人から与えられたものばかり。

上手に扱わなくてはいけないでしょう。

 

子供のころに、与えてもらった

ピアノとピアノの習い事。

中学校の頃に与えてもらった

フルートと、フルートの先生。

バイオリンだって。

 

子供のころから習い事させてくれたことも

理論教えてくれる先生に教わったことも

ウクレレの先生になれたのは

そのおかげだって、

言っても、父も母も

そんなこと、言わなくていいよって。

今から考えると

かっこよすぎますね、親って。

 

また、哀しくなったら

吹いてみようっと。

 

さ、こうしていられないー

日常と、問題対策改善反省だっ!

ヘマをやって、へこむのが

私の「標準装備」だから

コケても

反省して、しぶとくまた、たちあがらねば。

人生の最後まで、自分をだましだまし

生きていこーう!

 

ザ・ラスト・ワルツ

先日、六甲道の行きつけのお店に

恐る恐る行ってみました。

マスターのいつもの優しい笑顔と、優しい豊かな味のコーヒーと

常連さんの姿がありました。

ほっと、しました。

だけど、目に見えないこと・・・つまり、マスターのバックグラウンドが

変わっていました。

8月ウクレレ曜日中止のきっかけになった内容の延長にある理由で

9月の末で、閉店しないといけなくなったと。

9月に最後のウクレレ曜日、やりましょう、というお話がありました。

自分の中で、どことなく、区切りの意識はありましたが

私の「止まり木」自体がなくなってしまうことの寂しさが、

急に押し寄せてきたようでした。

なっちゃんウクレレの音、耳に焼き付けとくよー」

 

楽しいだけで演ってきた、この半年。

この恩人の耳に残るのが最後なのであれば

自分のベストを聴かせたいな・・・

・・・あっ・・・私、

この人に限らず、聴いてもらえるすべての人に対して

そんな思いで、弾いていなかったね

私はこれまで・・・。

というわけで

今、できる限りの「おすまし」した演奏を

来月9月21日(木)14時から

してみることにしました。

六甲道REN・コーヒーでの

最後の「ウクレレ曜日」。

 

私の師匠が言っていたこと

「服や髪形を飾るよりも、よいリズム隊をつけるほうがお客さんのためや」

という言葉に従い

10年来、師匠のお口利きで

ことあるごとに、私の演奏を救ってきてくれた

プロのベーシストに、思い切って依頼しよう。

 

お世話になった喫茶店で

上手に音符と踊りたいから。

これから備えます。

One、Two、Three・・・

緑の牧場で6か月

17年ウクレレを弾いていて、かつ、人に弾くことを推奨してきて

ふと、いき当たった壁。

どこを目指して、自分は何がしたくて、なにをしているのか?

自分もわからないのに、人に「ねえ、あそこに行こうよ!」

って言っていいの?

「新しいことができることになる喜び」

それだけ?

 

1月だったか2月の初旬だったか・・・

・・・よく行く喫茶店のお客さんに

戯れで聴いてもらった演奏。

よろこんでくれて、よろこんでもらえた気がして。

その技術や価値はともかく

お互いが笑顔になれて

コミュニケーションがとれて。

・・・そこからはじまった、その喫茶店での定期開催BGM

月一回のウクレレ曜日。

・・・

半年続けた今

自分が「これからの自分の為になる」。と考えた以上の

ことがあった。

 

もちろん、そのためには

私を受け入れてくれたお店と、足をわざわざ運んでくれた方々と

聞いてくれたお店の常連さん方

つまり、私に付き合ってくれた方々のおかげで。

・・・習い始めて一年後くらいからは

荒野をてくてく歩いてきたつもりの自分だけれども

その喫茶店で

恵まれた空間的、人間関係的環境のなか

やさしいまなざし、演奏を受け入れようという前提の催しのなかで

弾かせてもらうと、

その功罪が、おどろくほどよくわかる。

 

再び、自分は荒野を行く勇気と

人に「うまくなる以外に、こんなことも起こるようになるよ」

ということができる例も増えた気がする。

 

ときどき、自分を休めるために

甘えさせてもらおう。

音での恩返しが、付き合ってくれる人たちにできるように

これからも、頑張ろ。

 

今日は、師匠のレッスン受けてきます。

いってきまーす♪

 

まるい日々

日々の感覚としては

天動説支持ですけど

ときどき

地動説をとなえたくなります。

 

地動説支持。

そんなときの自分は二通りあって

ソフトな自暴自棄のときと

なんだかしみじみ幸せをかみしめているとき。

 

日記を書いていると

なんだかよくわかり

非連続なように感じている毎日が

ひとつにつながり

何ページもある人生や人間関係の一幕一幕が

ネバーエンディングなお話になる。

そして

一人称の物語が、

「ああ、これは私っていう人間のスピンオフ物語だな」

と感じる。

そういうことは月並みに言われていることだけど

あまりにも生々しい実感に、どきっ、とすることが。

 

ともあれ

一昨日は、猪名川河川敷で

複数でブルーシートに乗り、

遠くにジャズステージを見つめながら

いつ雨を落としてくるかわからない曇天の夜空の下

大地を感じて

どきっ、としてしまいました。

地球はまるい。地球はひとつ。

・・・

まずい・・・ちょっと難しめの勉強でもしようかな。

または、自分に後催眠暗示。

「では、あなたは、このパソコンの電源を落としたら

明日の準備に、たんたんと、とりかかります」。

ぽん。

欲張りおばさんですわ

昨日の朝、ちょっと、なんだかわからないけど、ココロがつかれていた。

 

ちょこっとウクレレ弾いても思う通りに動いてくれない指

頭に浮かんだ和声をコード名を考える前に抑えてくれていた指が

最近、迷子になることが多い。違う和音を抑えているので

改めてコードを考えて抑える。直通じゃなくなる率が増えてきた。

 

そのせいなのか、加齢か、女性特有のホルモンバランスか。

 

友達から来たメールの返信に

グチを混ぜてしまい、友達からはげまされる。

 

ウクレレ曜日にでかける。

お気に入りのお店の空気を吸う、人の笑顔をみる

大好きな人たちに会う、しゃべる

ウクレレ弾いてみる

湿度で弦が指にまとわりつく

普通にいつものように、まちがう

・・・だけど、落ち込まず、楽しい。単純に楽しい。

奏者的には非常にマズイ。

でも、この企画でエネルギーを奪われることはない。もらいこそすれ。

個人的には救われて。

 

もうちょっと元気になったら

二週間後の、師匠のレッスンまでに、

一昨日受けたレッスンで、受けた教示や訓練課題や研究を

やりたい、やりたい。

「一日があっという間に終わってしまう」

「顔をあげたら、ええ!もう、こんな時間?」

が許される日が欲しい。

 

だけど、友達にも逢いたいな。

いい音楽も聴きたいな。

素敵な景色もみたい。

家族とくだらない話がしたい。

楽しく仕事もしたい。

笑っていたい。笑わせたい。

それを可能にする体力が欲しい。

 

やっぱり

欲張り病です。

かなり、重度の。

 

みつ子のたましい

「これっ!ヒトのこと手伝ってばっかりおらんと、自分のコトしなさい!

自分のっ!」

・・・子供のころ、よく怒られて。

「・・・ほぉーい・・・」と、しぶしぶ、ピアノの練習や学校の宿題にとりかかったもので。

物心つかないうちは、とっても優しい神様みたいな幼児だったようで(これは、子供によくある現象)「この子、早く死んじゃうんじゃないか?」と

育児&姑問題で不安になる年頃の母親をさらに不安に陥れたそうな。

・・・

幼き私にしてみれば

これをしたら、笑顔がもらえる

これをしたら、自分が最もイヤなことをしなくて済む

という本能や、打算が習慣になったもの。

大人になって今

これをしている間は、自分が一番やらなくてはいけないことをしないでいられる

という悪しき「自分への言い訳」ができているわけで。

そのせいで

私は今、とっても充実して、かつ、いつも後ろめたさを抱えていて

いつも、何かに追われていて、自分のことは妙にあきらめがよくなり

人生悟ったふりをして、じつはとっても逃げている。

・・・

2週間前から「応援したい気持ち」だけで、

無料ツールを使ってかんたーんなHPを作ってさしあげた方から

つい、いましがた、電話があり。

「ホームページつくってくれてありがとう。おかげで問い合わせがありました」

という連絡をいただき、

とーっても充実感を味わっていたところで

同時に、大好きな方からメールが。

「あした、ウクレレ曜日、楽しみにしています」

「ありがとうございます~♪うれしはずかし☆」

・・・はっ・・・!

こどものころからの、習性は、変わっていない。

本当は今、土煙をあげて、練習していないといけないんじゃないの?

しかも、今日は、師匠のレッスン受ける日じゃないか!

・・・

そして今、こうして・・・

「日記書いてる場合じゃないでしょっ!」

「・・・ほぉーい・・・」。

 

なつ子のたましい46まで。

たぶんこれからも。

コーヒー計画

もちろん

エチオピアのある地区で、一生懸命、コーヒーの木を育てている人の

ことまで

毎回考えて淹れているわけではないけれど

今自分が飲んでいるコーヒーにまつわるいろんなことや人を

思いめぐらすことがマイブーム。

 

1年前までは

コーヒーより紅茶のほうが好きだった自分が

一杯抽出型のレギュラーコーヒーパックを

一生懸命、これ以上おいしくならないものかと

遊んでいる自分がいる。

 

近年、「のむんだったら~♪」の某日本のコーヒー会社に

いらした方の話とご縁があり

マメ知識やおいしい入れ方を教えてもらうことが多くなったこと。

今年に入ってからのご縁

サラリーマン時代に大好きな喫茶店に通い詰めて

おいしく入れる方法を学んでコーヒーどころをしている人」に

話を聞けたりして。

ということは

紅茶関係の人と縁ができたら、紅茶にはまる、というタイプである

ということかもしれないけれども。

 

・・・最近、「自分がおいしかったから」と

コーヒー焙煎工房のフレッシュパックをいただいて

「ありがたや。せっかくですから・・・」

さらに興味関心がUPし、慎重にいれるようになり。

 

雑味コントロールなど

入れ方のヒントやアドバイスを山盛り、上記の人に頂戴して

(S1さま、S2さま、ホンマ、ありがとうございますー)

「今日は私の技術は、このマメのマックス、いけてるのかな?」

「開封後3日目。タイムリミットせまる!」

と、毎朝楽しんでいる。

朝から、楽しい。

 

ただし

私の胃は

「コーヒーは一日三杯までにしてね。

朝から夜までトータルで、だよ。

忘れても、ごまかされないよ。三杯よ、わかったね」

と申告してくるので

(これが不思議。申し出を忘れて4杯目を飲むと、ほんとうにおいしくない!)

朝飲むときには

「今日は、行きつけの店によってコーヒーのんで

マスターやお客さんとしゃべって、それからー♪ということは・・・うちどめ。」

と計画たてないといけない。

・・・いま、一杯、のんじゃった。

今日は、あの店寄って、それから打ち合わせに行くと、そこでも飲むから

はい、うちどめ。

いまからは、お湯のみながら楽譜書こうっと。

飲み終わったあとの、コーヒーカップにお湯を入れて

「味はしないけど、香りが強調されてるわー」

嬉々。