落とし物、注意!

自分が走っているとき

自分を応援している人の声しか

聞こえていないのかもしれない。

 

知らない間に、ふんじゃったり

ぶち当たってしまった

草花などの生き物のことを

顧みていないかも。

 

走っているのは、

自分が自分の目標に向かって

走っているだけなんだから。

まわりの人まで

無理やり、走ってくれって言ったら

だめじゃないかー。

 

応援してくれている方々や

伴走してくれている人のそばを

走るとき、

しっかり、

その人たちの顔をみているわけではない。

むしろ、見えなくなっている。

 

また

その人たちは

どんな表情をしておられるのか

 

どんな気持ちで見送ってくれているのか

わからないのだろうけれど

想像力くらい働かせたい。

 

だからって

なにができるわけじゃないけど

何かを拾えるわけじゃないけど

失敗を回避できるわけじゃないけど

 

ちょっと

立ち止まったり

できるようになりたい。

 

昨日、今日と

いろんなことがありました。

 

いつも

走り去ってからとか

落としてなくしてしまってから

気が付く。

 

一生、修行だ!

「師走」に背中を押されて

振り返れば、

私の今年は

「探して、もがいて」

というイメージで

たくさんの人に励まされて支えられて

無事、12月を迎えました

 

が。

自分は、去年とちがう何かをできたのだろうか?

 

なにか、見つけた?

 

もう、12月も後半・・・・・・

 

以前から将来の夢は

「ひょいとウクレレを担いでジャズセッションにいくような

お年寄りになること」

とか言っており

 

ちょこちょこ、セッションにいったり

場をいただいて弾いたり、企画に参加したりして弾いていたけど

 

そこに臨む

自分の態度やこころもちが

とてもイヤで

「単なる場慣れのために行くのはもうやめよう」

 

そして、今年。

自分が最も苦手なことと取り組むということにして

コツコツ。

 

ほんとうに終わりがない訓練であるということを

思い知らされ

気が遠くなりつつ

 

そして、先日。

人間関係に恵まれたその場の流れも手伝って

避けてきた己との闘いの場

セッションというリングへ

 

レーニングばかりしていた自分を押して

登ってきました。

・・・

登ってしまえば

そこはもう「リング」ではなく

社交界」でした。

・・・

不自由ながらもウクレレで紡ぎだす

私の音符を

ギター、ベースのプロと

ドラムスの先達が

聞いてくれて、拾ってくれて

うんうん、頑張ってるね

といたわってくれて、

失敗しても、「あれま」という感じで

フォローしてくれて

おもしろがってくれて

こんなんもあるよーおもしろいでしょ、

みたいに夢も見せて(聴かせて)くれて。

そういう、場でした。

 

このジャズセッションの世界は

外国語会話教室なんかに

似ていて

どんな人と一緒に場をもつかで

いろんな体験をするのだなあと

思いました。

 

「年末」という時季に押されて

私は、ひとつ

みつけることができたのかも。

 

いつかの機会に

少しでもいろいろ「お話」できるように

コツコツを再開しよう。

そして

ずーっと、私を励ましてくれた

いろんな立場のたくさんの方々に

音楽にかかわらず

いつか、なにか少しでも

役に立つことができる私になれたらいいな。

こころが、何かを決めている

そして、私はどこかへ動き出すんだろうな。

 

だれでもそうだろうけど

 

そんな時間あるの?

そんな能力あるの?

 

と自分で思ったとしても

やりたいな、と思った時点で

そっちへ向かって流れている

というか

もう流れているから

そっちへ向かっているのかもしれない

 

さて、

あのひとも、そのひとも、このひとも

たくさんの人を巻き込んで

 

地面にこぼした水のように

これから先も

流れるほうへ

 

こころが決めた方向に

自由なスピードで

 

それが霧散するまで

流れて、しみこんで

いくのかもしれないなあ

 

しらんけど。

来年を思うということ

毎年、この時期になって思うのだけれど

晦日と新年

いつもと同じように

日が暮れて日が昇るだけなのに

どうして

来年はネ

って思うのかな

どうして

さ、新たな気分で、と

心が動き出すんだろう

 

ほんとうに

季節や行事、慣習って

ありがたいなあと感じる

 

何もないところに

何かきっかけをくれる

 

花はないのに

とつぜん心が明るくなる

何も出来事はないのに

急に生きていることにハッとさせられる

虹が出てないのに

ほのかな希望を呼び込もうとする

 

来年、私はどんな風に生きたいんだろう

私の思う「来年」は

もう、いますでに

始まっていて

 

そして、年号があらがまると

「さ、今年は」

っていう、スイッチが入って

自分の意思が

解き放たれるんだな、これが。

 

「来年」じゃなくて

「来月」でもいいのに

「来月」じゃなくて

「明日」でもいいのに

「明日」じゃなくて

「今から」でもいいのかな(笑)

 

あかんわー

練習して、お茶、濁しとこ。

 

こうしていられるということ

前の日から、眠れなかったり

ドキドキしたり

ああ、やるっていうんじゃなかったー

って後悔したり

今度こそ前よりましかな、って期待したり。

 

芸事の披露っていうのは

ほんとうに

波乱万丈、一大ドラマ。

 

「ここにこうしていられることがしあわせ」

って、老人顔して思うんだけど

やっぱり

その感動のまま、

最後まで自分を保てない

この人の身のかなしみ。

 

だけど

いろいろ考えてくたびれた後

何年後、何十年後かわからないけども

いつか、おとずれる

「ああ、あのとき、あんなことをしたなあ

あのときは、若かったんだなあ」

・・・

失敗して、大失笑して

悩んで、がっかりして・・・

 

笑顔ばかりではないけれど

 

これが

人間に生まれたってことで

生きている

ってことなのね

って

それを、同志で分かち合う時間が持てるっていうのは

これまた滋味深く。

 

人間をせいいっぱい

味わい深く生きるんだ

えびに生まれていたら

こうはいかない

つぎは、えびでさえないかもしれない・・・

 

いやいや、それでもやっぱり

うまくできるようになりたいって思いが

私の心の平安を

ゆるがす(笑)

 

ひとは、かわいいもので、人生は不思議、とは

よく言ったものですねぇ。

 

伝え方

物事をとらえるのに

なんでも難しく、まじめに考えてしまうクセがあり。

 

人に伝えるときも

まじめな面を前面に出したまま

伝えてしまうクセがある。

 

こわいこと、怖い、強い。

 

だれも得をしないなあ、

と反省。

もうちょっと、

シンプルで、的を射ていて

やさしい言葉で

「こわくないよー」

って、伝えられないものかしら。

 

「・・・こ、こわくないよ・・・」

いや、その言い方が、こわいってば。